鉄は酸素の運搬と貯蔵、ATP産生とエネルギー放出、DNA合成、コラーゲンや神経伝達物質の合成、免疫機能など、体内の様々なプロセスに不可欠な微量栄養素で、妊娠中は胎児や胎盤の成長、母体の血液量の増加を支えるため鉄の必要量が大幅に増加する(妊娠第1期の吸収鉄量は約0.8mg/日、妊娠第3期は7.5mg/日で、妊娠中の平均必要量は約4.4mg/日)。
鉄の必要量が増加する妊娠期は、先進国、発展途上国を問わず、特に鉄欠乏症になりやすい時期であり、妊娠中の鉄欠乏(貧血)は早産や低出生体重児・子宮内発育不全児リスクを高めることから、世界の大半の国では妊娠中に食事からの鉄摂取量を補うために鉄剤を使用することが推奨されている。
一方で、鉄欠乏性貧血が観察される妊婦は妊娠糖尿病(GDM)の発症リスクが低下し、鉄過剰症は子癇前症やGDMリスクを高めると考えられており、特にすでに鉄分を補給している女性が食事から鉄分を補給した場合それらのリスクが高くなるとされている。
そのメカニズムとして、インスリン抵抗性につながる酸化ストレス増加やインスリン分泌の代償不全などが考えられているが、現在入手可能なエビデンスの範囲では研究結果に矛盾があり、GDMリスク増加の程度は比較的小さいようだ。
現在、鉄分を補給すべきかどうかについての妊婦への助言は、現時点での鉄分の状態と妊娠糖尿病の他の確立された危険因子の両方を考慮する必要がある。
Iron Supplementation in Pregnancy and Risk of Gestational Diabetes: A Narrative Review
・妊娠中の鉄分補給と GDM 発症との関連を調べた症例対照研究は4件。
2つの研究では有意な相関が認められ、2つの研究では認められず一貫した結果が得られていない。
・7件の前向きコホート研究で、妊娠中の鉄分補給とGDM発症との関連が調査された。
ここでも2つの研究では有意な関連を見出すことができず、5つの研究では有意な正の関連を報告しており結果に一貫性が見られなかった。
また、妊娠中の鉄分補給とGDMの間に有意な関連を見出せなかった研究のうち1つは、妊娠前の鉄分補給に有意な関連を見出し、有意な関連を見出した3つの研究は、補給の異なる時点や低用量の鉄分を使用した場合には関連がないと報告しており矛盾が見られる。
・妊娠中の鉄分補給とGDM発症リスクに関する様々な一次研究の結果には矛盾があり、意味のある結論を導き出すことは困難。
妊娠中の鉄分補給の修正効果の大きさをより正確に推定するために行われたシステマティックレビューとメタアナリシスでさらなる洞察が得られている。
3件は妊娠中の鉄分補給とGDM発症との間に有意な関連を見出せなかった一方、1件のメタアナリシスではオッズ比1.3という有意な関連を認めたが研究結果には大きな異質性があった。
・妊娠中の鉄分補給がGDMリスクに影響する潜在的メカニズム
多くの非自己免疫性糖尿病と同様に、GDMはインスリン抵抗性とインスリン抵抗性の程度を補うための不十分なインスリン分泌との組み合わせから生じると考えられている。
鉄分不足の女性が妊娠中に鉄分を補給するとGDMの発症リスクが高まると仮定すれば、それはインスリン分泌および/またはインスリン感受性に影響を与えることで起こることが予想される。
鉄は酸素と反応する性質があるため活性酸素の産生を増加させ、抗酸化酵素や緩衝タンパク質などの防御機構によって不活性化されない限り、タンパク質、脂質、核酸に損傷を与える可能性がある。
実際に妊娠中の鉄分補給は、活性酸素種に関連した過酸化脂質の割合を増加させることが報告されており、母体と胎児の両方に悪影響を及ぼすことが予測される。
インスリンを産生・分泌する膵臓β細胞はいずれも鉄に絶妙に依存しており、特に活性酸素による損傷を受けやすいようだ。これは、スーパーオキシドジスムターゼ、グルタチオンペルオキシダーゼ、カタラーゼなどの抗酸化酵素の発現量が少ないことが一因。
また、鉄は蓄積されやすいという特徴もある。
鉄過剰症はインスリン分泌への影響に加え、過酸化脂質の増加による筋肉でのグルコース利用を減らし、肝臓でのグルコネーションを増加させることで妊娠中のインスリン抵抗性を促進する可能性もある。ある研究では、血清フェリチン濃度(妊娠中の鉄分補給で修正可能)によって層別化したインスリン抵抗性の増加が耐糖能異常およびGDMリスクと関連していると報告されている。
結論
妊娠中の鉄分補給がGDM発症リスクを高めるのか、実際にそうであるとしても文献上では矛盾したエビデンスが存在している。
最近の(そして最も徹底した)システマティックレビューとメタアナリシスでさえ、妊娠中の鉄分補給とGDMリスクの間に有意な正の相関があることを示したが、異質性が非常に大きかった。
メタアナリシスで発見された研究結果の異質性は、参加者のベースラインの鉄貯蔵量、食事(ヘム鉄と非ヘム鉄)摂取量、鉄補給量、補給期間、補給時の妊娠期、腸から吸収される非ヘム鉄の相対量などの個人間および研究間の違いに関係している可能性がある。
不均一性に影響を与える鉄以外の要因としては、妊娠による血漿量の増加の程度、母親の抗酸化状態、母親における他のGDM危険因子の存在、胎児の成長速度が挙げられる。
これらすべての要因によって、GDMリスクにおける鉄分補給の役割について結論を出すことが難しくなっている。
しかし、鉄過剰症とGDM発症を関連づける文献や潜在的なメカニズムについてはかなりの証拠があり、妊娠中の鉄分補給が、特に鉄分不足の女性でリスクに寄与していることは納得に値する。